行政代執行に関する議論の中で、避けて通れないのが費用の問題です。一度の執行にかかる費用は、人件費、処分費、車両費などを合わせて数百万円に達することが珍しくありません。この莫大なコストは、まず自治体が立て替え、後に居住者である義務者に請求されます。しかし、ここには極めて厳しい現実があります。ゴミ屋敷の主の多くは、高齢者であったり、失業中であったり、生活保護を受給していたりと、経済的に困窮しているケースが大半です。たとえ請求書を送っても、支払われることはほとんどありません。滞納処分として財産を差し押さえようにも、対象となるような資産がそもそも存在しないのです。結果として、執行費用の多くは「欠損処分」となり、最終的には納税者が納めた税金によって賄われることになります。この事実に、不公平感を感じる市民は少なくありません。日本には「行政代執行法」という強力な武器が存在しますが、ゴミ屋敷に対してこれを適用するには、極めて高いハードルを超えなければなりません。憲法が保障する財産権と居住の自由は、行政が個人の敷地に立ち入り、物を処分することを厳しく制限しています。「なぜ個人の片付けのために、私たちの税金が使われなければならないのか」という批判は正当なものです。しかし、行政の立場からすれば、放置することによって発生する社会的損失の方が大きいという判断があります。火災が発生した際の消防費用、周辺住民の健康被害に対する補償、さらには地域の資産価値の低下。これらを総合的に判断すれば、たとえ回収不能であっても代執行に踏み切らざるを得ないというのが現状です。また、最近では執行費用の未払いを防ぐために、あらかじめ義務者の親族に対して協力を仰ぐケースも増えていますが、疎遠になっていることが多く、解決の糸口は見つかりません。行政代執行は、経済的な合理性だけでは測れない、公衆衛生の維持という公共の利益のための究極のコストなのです。私たちは、税金がこのような形で使われている現実を知り、それを単なる無駄遣いと断じるのではなく、社会全体で負うべき「孤独のコスト」として捉え直す時期に来ているのかもしれません。