「なぜ、そんなゴミ屋敷の中で眠り続けていたの?」多くの人がそう尋ねるでしょう。私自身、きれいになった部屋で眠る今、過去を振り返ってそう思います。しかし、あの頃の私には、ゴミの山の中で眠り続けるしかなかった、そしてそれが当たり前だと感じてしまう、複雑な理由がありました。最初は、仕事のストレスと疲労で、ゴミ出しに行くのが億劫になったことでした。食後の食器は流しに溜まり、コンビニの袋はそのまま床に置かれ、やがてそれは手のつけられない山へと変わっていきました。寝る場所も、最初はベッドの上だけは確保していましたが、そのうちベッドの周りにも物が溢れ、最終的には、ゴミの山の一部をかき分けて、なんとか横になれるスペースを見つけるような状態でした。一番の理由は、精神的な落ち込みでした。うつ状態になり、何事にも意欲が湧かず、自分の部屋が汚れていくこと自体が、もうどうでもいいという感覚に陥っていました。片付けようとすればするほど、その途方もない量に圧倒され、絶望的な気持ちになる。「どうせ私なんて」という自己嫌悪が、私をゴミの山の中に閉じ込めていきました。また、物に対する執着もありました。「いつか使うかもしれない」「もったいない」という言葉が頭の中を支配し、一つ一つの物を捨てることに強い抵抗を感じました。亡くなった祖母の遺品や、昔の恋人との思い出の品など、捨てられない物がたくさんありました。それらの物に囲まれていることで、一時的に心の隙間が埋められるような錯覚に陥っていたのかもしれません。外の世界から閉ざされた部屋で、ゴミの山に囲まれて眠ることは、私にとって、一種の安心感でもありました。誰も私の部屋を知らない、誰も私を責めない、という孤独な世界の中で、私は自分の殻に閉じこもっていたのです。しかし、その安心感は偽りのものでした。私は毎日、安眠とは程遠い眠りの中で、精神的な苦痛と戦っていました。私がゴミ屋敷で眠り続けたのは、決して望んでそうしていたわけではなく、心と体の限界が、私をその場所に縛り付けていたのだと、今なら分かります。